インターネット、特にTwitterが普及してカードゲームにおける集合知は急速に進化した。集合知に頼る事は時間のない中で、賢くカードゲームをやるための最適解だ。
しかし、集合知はもはや公然の秘密であり、そのゲームをプレイしている人にとっては単なる前提になってしまっている。
集合知はとても合理的で、斬新で、分かりやすく、安易に強くなるための知識だ。それと同時にそれは誰でもそう感じ、誰でもアクセス出来る。そういうふうに作られている。
そこで満足して分かった気になる、満足してしまう人が多い。実際そういう人たちは要領がいいのだろう。コストパフォーマンスが良いというか時間の使い方が上手いと思う。
ただその先は確実にある。
極めてコスパが悪く、労力と結果の割が合ってない。常人にはトライする気も起きない。そんな世界がある。
集合知の外には2つのコンセプトが広がっている。研究と創造だ。
研究は集合知のテーマの延長線上にある。元からあるテーマをより深く掘り下げていく。
創造は全く誰も気がついてない新しいテーマ、コンセプトを自分一人で作り上げてく。
基本的に楽な道はないと思え。
楽に集合知が得られるのは先人が労力をかけてその道を整備したからだ。それを自分の実力と勘違いしてはいけない。
ただ車輪の再開発もまた無駄な努力である。
集合知の高速道路を駆け抜けた上で、その行き止まり、終着点から先の道を作るのは現代のプレイヤーなのである。